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いのちの食べかた

「いのちの食べかた」というDVDと
「いのちの食べかた」という本とがある。

それぞれ別々にリリースされた同名同テーマの作品だ。
両者とも食品が食卓に登る前の姿を描いている。
なお、文末に両タイトルへのリンクを記載する。

DVDではナレーションも音楽もなく淡々と食品加工現場の映像が続く。
牛が失神させられあっという間に逆さ吊りにされ、
食肉に加工されていく映像には生命の現実感が欠如していて違和感を感じた。
それでも、普段目にする事の無い「いのちが私達の糧となるプロセス」
を覗き見る事ができることに大きな意義があると思う。

一方の書籍は子供向けの内容だが大人でも沢山の事を感じることができる。
同書を読んだ多くの人が印象に残るという箇所を紹介する。

「戦後間もなくて豚や牛なんてほとんどいない頃、
 大きな山羊がと場に連れてこられたことがある。
 山羊のと畜など、誰もこれまで経験がなく、命じられた彼は、
 ハンマーで眉間を殴ったが、豚なら気を失うはずなのに山羊は倒れない。
 あわてて何度も殴ったが、山羊は血だらけになりながら、やはり倒れない。
 最後に仕方なく、ナイフで止めを刺したという。
 これだけの話を語りながら彼は、
 「あの山羊には本当に申し訳ないことをした」と何度も繰り返した。
 日焼けした目許には、いつのまにかうっすらと涙が滲んでいた。
 もう半世紀も前の話なのに、 一匹の山羊を苦しめて
 殺してしまったことで、彼は今もこれほどに苦しんでいる」

歴史的な背景もあり「と場」には様々な差別意識や偏見が存在する。
でも実際には出来るだけ動物達に苦しみを与えまいと
苦闘しながら日々、命と向き合っている職人達が存在する。

日本語の「いただきます。」には「命をいただきます。」という意味があると言う。

近代的な食品加工/流通は消費者に命の形跡を感じさせない。
スーパーに並ぶ切り身に、かつて命が存在した事を
想像できる人は少ないのではないかと思う。
でも本当は、食卓に上る食物はすべて命の断片であり、
私達の命は他の生命を奪う事により成りたっている。

私達が奪い取った命に感謝すると共に、
私達が受け継いだ命に対する責任を忘れてはならないと思う。
誰もが価値ある人生を充分に生きる責任を課せられていと思う。

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Posted by Soul&Body | comments(2) trackbacks(0)

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comments
原始時代や食べ物のない時代ならともかく、
今の時代、受け継いだ命と言えないのではないだろうか。
単に美味だから、好きだから食らうだけ。
感謝より懺悔だと思う。だから私は牛も豚も鶏も七面鳥も馬もラムもマトンも鯨もイルカ…その他の動物も食べない。
わく | 2010/06/23 05:50
わくさんに同感
犬猫などのペットをかわいいかわいいと飼いながら牛豚をうまいうまいと食らう
戦争がおこらないように、平和でありますようにと願いながら肉食をする
誰もこの「大いなる矛盾」に気がつかない

おまはん | 2010/07/08 08:35









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